僕にとっての大阪は、梅田や難波ではなく、淀屋橋だった。
地元京都から母親に連れられ京阪電車でやってくるこの街。
見上げるネオン、電光掲示で表示される時計と天気予報、低く重厚なビル群、足早に歩くサラリーマンたち...画角は4:3で、薄暗く埃くさいような景色こそが僕の大阪だった。
その中でも特に記憶に残っていたのが角地に立つ石原ビルディング。
何年もたって建築に興味を持ち始めたころ、このビルが再開発で取り壊されるということを知った。
1939年築。
装飾のないスッキリとした外観、1階・2階と最上階が店舗のため広くガラス面が取られている点など現代のオフィスビルに通じる先進性を感じる。
勇気を出して中に入ってみる。
エレベーターの階数表示と木張りの床は当時のまま。
8Fに市内のヴィンテージ物件を扱う不動産店が入居していて、特別に中を見せてくださった。
生活感があるのにシンプルで明るくて、とても居心地の良い空間と思った。
広い窓から見下ろす、日銀、淀屋橋、8車線。
この景色は80年何も変わっていないんだなあと感慨深くなる。
関東大震災から空襲を受けるまでの大阪の街づくりは、異常なくらい先進的で今にないロマンを感じる。当時の人にもかなりの未来都市に映ったんだろうな。
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ビルが閉鎖されてすぐに未曽有のパンデミックが世を覆い、ねずみ色の空気と囲いの中であっという間にビルは解体されてしまった。
かくして昭和の、そして僕の記憶の中の淀屋橋は消え去って行ったのだ。