
藍色備忘録というブログを書いています。好きな色は藍色です。田舎より都会派で山より海派です。ブラックコーヒー飲めます。お酒弱めです。
Twitterに2万文字くらい書く人いるじゃないですか。あれ好きじゃないんですよね。
ここは140文字に書ききれなかった感情を吐露する場にしたいと思っています。
それから、何年か経って見返したときの自分が楽しめるように、出来るだけ感情に正直な文章にしたいと思っています。日記の代わりですね。
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niconicoのタイトルに関しては、今回の動画のテーマである3つのローマ字をアナグラムで組み替えています。
整然とした開拓の様子と人間と自然が混沌とした現状。なんとなく読めそうで読めないのがいいですよね~

4日間かけて、新千歳空港~士幌~根室~網走~オホーツク海側~稚内~日本海側~留萌~新千歳空港といった感じでぐるっとまわるコースでした。
写真は旧興浜北線の豊牛駅跡です。
見てわかる通り、駅裏はすべて原野に還っており、駅舎が投げ捨てられたようにぽつんと残っています。
オホーツク海沿いの国道238号は、北に向かって右にひたすら海、左にひたすら丘を望み、交通量も多すぎずとても滑らかに流れていく道路でした。
助手席に座りながら航空写真を見ていると、不自然に民家の集まっているところを発見。車を入れてみると駅舎を見つけました。

この航空写真を見てもどこが廃線跡でどこが駅だったのかよくわからないですが、やはり駅をもとに暮らしが広がっていった北海道らしく、数軒の民家の集積と、神社。
開拓と国家神道が叫ばれていた時期と重なっているからか、北海道では町や集落の中の「適切な位置」に神社が配置されていることが多いような気がします。
本州での暮らしでは、街並みの中に埋もれるように存在する神社を発見することで、なんとなく神様への畏れの気持ち的なものを感じたりするわけですが、ある意味ファサード化している鳥居などを見たとき、自分の今までの神社への気持ちとの温度差が興味深いと感じました。

一方こちらは旧地北線→ちほく高原鉄道の本別駅付近。主要官庁街という文字が誇らしげですね。銀行があり、家具店があり、歯医者があり、人の営みがありました。

人の営みが消えたか否かは関係なく、ただ鉄道だけがそこから消えたということだけは共通していました。
この旅行は「やりたいこと全部やろう」ということがテーマでした。

そもそも気の知れた友達同士で、そんなことをわざわざ口に出す必要もなかったのかもしれませんが、結果としていい店に会えたり、いい景色を見るために引き返したり、普段しない話ができました。
SNSでブーストされた”普通”みたいなものを求められる社会人生活の日常から解放された、とても楽しい旅行でしたね。
旅PVみたいな感じで、この時の感情や景色を、見ている人にも追体験してもらえるような内容で、かつあまり筋書きを気にせず思いの向くまま動画を作りたいと思っていたのですが、結局納得できる出来に至らず、完成させることはできませんでした。

冬の留萌線を訪れました。
既に廃止日まで2か月程度に迫っていましたが、北一已の駅前は、除雪車が作っていった轍と、青白く眩しい一面の雪原と、駅舎。それ以外何もありませんでした。
雪が降るだけでも大ニュースとなる土地で育った人間としては、この景色はあまりにも衝撃的に感動的でした。
最近は、見た景色を見たままに記録するのが好きです。
その場から動かずただぐるっと360度動画を撮ってみたり、連写した写真を絞り込まずそのまま保存したり、目的地が近づいてスピーカーからレコーダーを外してもそのまま録りっぱなしにしたり...ということをやっています。
あとから見返したときに手触りが蘇ってきて楽しいです。
列車の風で巻き上がる雪。日光に照らされてキラキラと光る世界。その中を何度も何度も汽笛を鳴らしながら列車は走っていました。

打って変わって、各駅にはたくさんの人。
この日が平日ということもあり、深川駅前で飲んでた人たちがわざわざホームまで見送りにきたりもしてました。
最近、あえて夏休みやラストランといったハイシーズンに乗ってみるのもいいなと思っています。
とにかく列車や駅に人がたくさんいて、"かつての姿"と重ねてみるのが楽しいんですよね。

去年とはまた別のメンバーで、夕張、日高の廃線跡と留萌線を再訪しました。
倒壊した峠下駅の跡地にも行きました。
閉鎖された夕張市民会館(旧夕張本町駅)や日高線の各区間でも、とにかく印象的だったのが、人工物の隙間から咲いている花の美しさと力強さです。
フランスギクなどは特に、美しいのに、正面から見ると吸い込まれてしまいそうな危うさを感じます。
ここで交わした「人間は弱いよな。一度倒れたらおしまいだもんな」って言われてるみたいだな、という会話が心に残っています。
また、藤山駅前にあった石碑もとても印象的でした。
往年この地はうっそうと生い茂る原始林におおわれた未開の地であった。
先人が開拓に鍬を入れて以来95年 樹木を切り根を抜き水を導き 数々の苦難に耐えて今日の肥沃の美田を見るに至った・・・
ついこの前まで客を乗せて走っていた路線なのに、他の廃線跡と同じように、自然に還りつつあり、25年の夏に感じたのと同じ虚しさがまた胸に込み上げてきました。
主題である留萌線とその支線であった羽幌線、そして始発駅深川からの深名線があった頃、その頃の元気な街と人々の映像から始まります。
廃止直前の冬の羽幌線を追ったドキュメンタリーがあります。これが本っ当に素晴らしくて大好きです。
140kmにもわたる路線が廃止される地域へのインパクト。
そして民営化、つまり属している組織が無くなるというもう一つの大きな波。
退職か再雇用か、信念か自分と家族の生活かと苦渋の選択を迫られる職員たち。
1980年代にしてまだまだ道路交通が貧弱な中、どんな時も輸送を果たすんだという鉄道員の矜恃が感じられる暴風雪の中での線路点検の作業。
ネット上に転がっているのでぜひ見てほしいです。
そんな映像に、ラストランの日に集まってきた色んな人達の会話をサンプリングして重ねています。
「雪の日は汽車で...」
「(息子が電話かけてきて)最後に何言うかって言ったら米を送れって」
「深名線も気が付いたら無くなってたみたいなところありますよね」
「留萌線ありがとう~さようなら~!」
「...留萌本線に 多くの人にドラマを与えてくれた石狩沼田駅に...」
まずは、衝撃的に美しかった冬の姿をそのまま体感してもらえるような、夏の動画で出来なかったことの再現を試みてます。
途中駅全通過の列車というのもなかなか良いですよね。
中盤はラストランの日のにぎわいを対比的に表現したかった部分です。
外から来た人か、その地の人かに関わらず、とにかくたくさん人がいる。
雪が解けて人の営みが溢れ出しています。
途中北一已駅の駅舎内に貼ってあった恐らく1970年代ごろのものと思われる路線図と、新千歳空港駅の有名な地図を対比するシーンなども入れています。
終盤は自然に飲まれて原野に戻っていく鉄道の景色と、人間の選択で自動車へ移行していく姿を映しています。
お気に入りのカットです↓

これは留萌〜増毛廃止後のストビューなんですが、かつて踏切だった場所に立ち入り禁止の虎模様の棒が入ってました。

いまその線路跡も駐車場に整備されて、今はその虎棒が抜かれて何のためのポールなのかわからない状態に。
そこを自動車は(当然)何も気づかずに通過していきます。
その後ろにはもはや大仰な規模に見える留萌駅の駅舎と跨線橋が映るわけです。
この下は話題が変わるので別に読まなくても良いです。
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僕が作品を一番投稿していたのは、2017年前後です。
なぜか、ということを考えました。
大前提、学生身分で死ぬほど時間がありました。
そして「〇〇線カッコいい!」みたいな、内側から湧いてくる衝動が3分とかの尺を埋められるほどあって、しかもそれを画にするだけで満足できていたんだと思います。
その時の作品は今でもめちゃくちゃ好きです。ですが、その後投稿頻度が下がっていきました。
Debug Thundanceの記事とかでも書いてますが、
衝動だけでは尺を埋めれない→作品が完成しない→作るということ自体できなくなってしまったんじゃないか、と自信を無くす
みたいな感じで負のスパイラルに陥っていたからです。プロジェクトファイル自体はずっと触り続けていたんですが、没作品が無限に生まれるだけでした。
じゃあなんで急に最近作れるようになったか?それは作りたい理由にしっかり向き合うようにしたからです。
今回の動画で使った米津玄師の1991は、歌詞的の別れの描写を廃線の別れと掛けているように感じるかもしれません。
実際には、上にも書いた北一已の駅を降りた時にたまたまシャッフルで流れてきて、後半の歪んだシンセが聞こえてきたときに雷が体内を走ったときにこの曲にしようと決めたわけです。つまり衝動からスタートしています。
始まりはそこからでいいけど、その後をしっかり組み立てようと考えを変えて、うまくいくようになったよ~ということですね。ほかの人からしたら当たり前の話なのかもしれませんが。。。
これは年齢や性格の成熟に合わせて製作方法を変えたと言う話で、それ自体に正解はないというのが僕の意見です。
というよりむしろこういうことを考えず作れるうちは、その思いのまま作る方が尊いなと思います。
たとえそれが、他の誰かの作品よりガタガタに見えたとしても、です。
素材を変えて他の路線にしても行けるような編集だな、とか誰か他の人でも作れそうだな、と思われない物を作っていけるのが1番いいですよね。
投稿日に関しても悩みました。
一方では、下車好きとして下車の日を盛り上げたいという気持ち。
対して、構成や音作り画作りの出来だけをフラットに見てもらいたいという気持ち。
結果としてサムネタイトル概要欄から説明を排し、YouTube公開を1か月後ろに倒してこの記事はそれと同時に出す。
こういう形になりました。
僕は自分の作品が自分の手を離れた以上は、想定していない角度からの評価が欲しいと思っているので、色んな人に見てもらえて、色んなことを言ってもらえたら嬉しいなあと思っています。
遅くなりましたが、大変な途中下車シリーズ19周年、おめでとうございました!