三原は城跡の石垣を新幹線の高架橋がぶち抜く街です。
いや、街に城跡が横たわっているといってもいいかもしれません。
明治までは石垣が海に浮かび、船を直接城内に入れられるような構造になっていたんだとか。
本州の城でこんな形なのは珍しい気がします。
三原駅に戻ってきました。
高架化完成は民営化後1990年ですが、そこはかとなく国鉄臭がします。
三原駅8両車掌位置には発車ベルスイッチが。
錆び錆びですが現役で、広島地区特有の「ファラララ」という音が鳴るみたいです。
そしてホーム中ほどにはツマミの取れた「警告」スイッチと、「合図」と書かれたボタンが有ります。
今では駅員の立ち合いなんて一切ない駅ですが、高架化当時はあさかぜやみずほなど、東京・大阪~九州間の寝台列車が残っていました。
発着の際ここから合図を出していたんでしょうか。ボタンがあるということは合図機が有ったということですよね!電鈴式かな?それともブザー式?出していた合図は出発指示合図?乗降終了合図?妄想がはかどりますね!!!!!
広島に到着です。
都会にかかる無数の橋と川の景色には大阪人として物凄く親近感を感じます。
が、川幅が広くて水位が浅いのは、河口に近く砂っぽい中州に有る広島ならではだなあと思います。
駅前には地方都市とは思えない超巨大な開発地区が見えます。
10万㎡を超える巨大駅ビルの建設とともに、広電が駅前大橋経由に付け替えられます。
と、同時に消える猿猴橋町電停。本来きっちり分けられるべき車道との境界があいまいだったり、「電車が渋滞する」光景であったり、管理された混沌的なこの空間を初めて体験した時の衝撃は忘れられません。
廃止されるまでにしっかり記録していきたいなと思います。
広島市街地はまだ全然歩き足りていませんが、広電に囲まれて密度の高い市街地が広がっているイメージ。
関西人からしたら見慣れない、三越があるのが推しポイントです。
広島の面白いのは山陽本線の利用客の流れが広島駅一極集中ではないこと。
岩国・宮島口方面から来た客が、西広島(乗降客2万)横川(4万)・新白島(2万)から分散して市街地方面へ広電・アストラムライン・バスで散っていきます。
地方都市というより大都市っぽくて面白い。
それらを結ぶために最大8両編成の"電車"が頻発運行されている点も良いです。
再開発はその各拠点駅でも進みます。
宮島口ではフェリーターミナルと広電駅舎の建て替えが進行中。軽い建築です。
国鉄薫る小ぶりなかわいい駅舎に代わって、ガラス張りの美しい駅舎が建ちました。
広電駅側でも広場が整備され、人中心の空間が整備されつつあります。
ということで、今回の旅はビルを巡り街を巡る、臨時列車とか新しい建築とか何かそういう大きい目的のあったわけでもありません。
ただ気分転換をしたかっただけ。
どうしてそうなったのか...この頃から日々に暗雲が漂い始めていたからでした。