「日本一遅い終電」が関西から消えたのは3月13日のことだった。
自分はどんな事をしようとするにも腰の重たい性分なので、数々のダイヤ改正の夜を自宅で明かし、消えた駅や列車のことを思っては後になって悔やむと言う事を繰り返してきた。
だから、最近はそう言った節目を大事にして、できるだけ足を運ぶことにしようと心がけている。
だが、今回日本一遅い終電を追いかけた理由は、それだけでは無かった。
急にクソデカい話になるが、この終電繰り上げに「ひとつの時代の終わり」を感じたのだ。
ダイヤ改正を重ねるたびに、鉄道は「大量輸送・高頻度運転」という特徴を生かすために増便を繰り返し、終電時刻を繰り下げてきた。
鉄道会社も営利企業なので、そこに需要がない限りわざわざ列車を増やさない。
つまり、これまでは日付をまたいでもしばらくたった時間でも十分な需要があったのだろう。
しかしウィルスのおかげで世の中は一変した。良くも悪くも。
日付を跨いでもたくさんの人が列車を使う、その光景はもう過去のものになってしまうのかもしれない。
そんな事を考えながら、降り立った大阪駅のホームは、緊急事態宣言が解除されているにも関わらず、閑散としていた。
入線したきた新快速。隣に「西明石」と見慣れない文字を掲げている。
時計はてっぺん回っているが、電車は数分の間隔で来る。
にも関わらず人がおらず静まり返ったホームは、鉄道が過去の遺産となった幾多の地方で見られる「かつて幹線として賑わった路線の使われなくなった長いホーム」を見ているのと同じような、寂しさにつつまれていた。
新快速に乗車し、尼崎・芦屋・三ノ宮と停車していく。
速度は普段と変わらず快調だ。途中尼崎では、ホーム立ち番が出場して、列車出しをしていた。
疫病が流行る前は、大阪・京橋・天王寺などターミナル駅からの最終列車は、軒並み満員だった。
特に、給料日後の金曜や、年末などは比喩ではなく本当に乗り切れないほどの混雑であり、次から次に駆け込んでくる客の乗車が完了したことを車掌に知らせるために、各駅の駅員は非常に重要な役割を果たしていた。
しかしそんなもの不要だと言わんばかりにこの列車の発車は軒並みスムーズであった。
かつてのような賑わい、喧騒はもう戻ってこないのであろうか。
三ノ宮で新快速とはお別れ。
「最終繰り上げ」の動きは、JR西日本や関西だけの話だけではなく、全国的なものになった。中には「緊急事態宣言中期間のみ」というかっこ書きが、永久になったものもある。
最終列車ですら、混雑する。
それがかつての都会の象徴的な光景のひとつであり、目の前に広がる光景とのギャップから感じる悲しさやさみしさを共有できているだろうか。
0:51発の普通電車に乗って、隣の神戸駅に到着。
時計は25:00を指す。
歴代の数々の列車を送り出してきた広い駅構内が余計に広く感じる。
古びた接近表示灯が点灯し、小雨の中321系が入ってきた。
乗車率は20~30%くらい。座席の両端と真ん中に人が座っているくらいのものだ。
垂水、明石など普段は駅員がホームに出場していないところでも肉声放送が聞こえ、最終列車なんだということを強く印象付けてくれる。
西明石に到着。時刻は26時に近い。
ゆっくり写真を撮っていきたかったが、駅員からの「出ろ」という気迫を感じたのでさっさと駅を後にした。
ちなみにたったこれだけのために、西明石の駅前のホテルに泊まったのだけど、これも新鮮でいい経験になった。
最後にコロナ前の乗車記録を見つけたので共有しておく。
繰り返すようだが、夜深くまで人の営み・賑わいが有る。
そんな光景はもう見れないのかもしれない。
そこに僕は特急列車や長距離列車の引退と同じくらい寂しさを感じた。