それはずっとずっと前から知っていた事実でした。
しかしやはり腰の重い性分。記録に動き出したのは、ようやく2月になったぐらいの頃でした。
新幹線開業後、ひたすら観光都市のキャラクターを演じている印象のある金沢ですが、夕方の時間は通路側まで人でいっぱいの列車が次々に発車していきます。
こういう姿を見ると、ここにも大都市があるんだなということを感じれて好きです。
名列車たちがほとんど消え、金沢駅栄光の時期は終わってしまったかもしれませんが、それでも僕にはとても輝いて映ります。
その彩の一つがこの国鉄型の存在です。
国鉄時代に高架化された駅の独特の雰囲気が好きです。
薄暗く長いホーム、その端っこにまで書かれた古い乗車位置案内、大きな係員詰め所など、鉄道全盛期の名残は、大抵高架化の際に要らないものとして失われてしまいます。
しかしそういったものが”現役で活躍していた”時代に高架化された駅には設備がそのまま引き継がれて高架化されます。
それらが生み出す独特の雰囲気がとても好きです。
こういう話あと50000億回くらいするかもしれませんが、幹線から枝分かれする支線に特急列車が走っているとうれしくなります。
大都市から直通してるとなお良いです。普通列車が元気だとなお喜びます。
そういう意味では七尾線は完璧なわけですね。
681系って罪な車両だと思いませんか??(?)
独立後すぐ、野心溢れていた当時のJR西日本の熱気を感じ取ることができる外観。
一方国鉄の香りを各所に残すインテリアデザイン。
今よりも低かった会社間の障壁を乗り越え、新潟や富山地鉄、KTR鉄道などに入線しておきながら、平然とした顔で現役特急の役についているんですよ???(?)
この時はコロナの影響で大阪から和倉温泉までの直通は金沢で分割。
しらさぎ編成を使用して、実質能登かがり火として運転していました。
七尾駅。
北陸特有の高いベルを鳴らし終わったあたりでブロワーが起動。両側のドアがバラバラと閉まります。
長い駅間で当然のように100kmを出します。響く国鉄型のモーター音が心地よい。
羽咋でもベル扱い。この後、津端と東金沢でも聞くことが出来ました。
「七尾線」「地方の路線」という以前に、「JR西日本」として発車ベルを聞ける駅というのは少なく、貴重です。
デッドセクションを通過。夜行列車のごとく、車内の電気が思った以上に真っ暗になりますが、お客さんは知らんぷり。こんな非日常が日常という違和感が楽しい体験です。
夕ラッシュ時間帯。6両を連ねた列車が行きかいます。
4両の列車は全国たくさんあれど、6両となると、やはり格が違うように感じます。
金沢に到着。
吐き出されるお客の数の多さからこの路線が「生きている」ことが感じられます。
時が流れ、街は明るく、暖かくなりました。
沿線が茜色に染まった頃、もうそこに茜色の電車は居ませんでした。